基準は“自分”
何をどうするか、
何をどう考えるか、
何をどう受け取るか、
何を選ぶか。
全部基準は自分だなと思う。
自分が生まれ育った環境で自分の基準ができ、
それを『フツー』として物事を考える。
そのフツーというモノサシは、
十人十色で、
みんな必ず一個持っていて、
そのモノサシを縦やら横やら当てていろんなことを計っていく。
そのモノサシは、
全く同じものを持っている人はいなくって
血の繋がっている家族でも
どんなに仲良しでも
ぴったり同じにはならない。
その『違い』を認め合えないと喧嘩になるし
好き嫌いが生まれる。
認め合うことができないから、怒りが生まれる。
だから
認めあうことが必要で
お互いの違いを楽しめたら人生は楽しくなる。
今日も、「フツーさぁ・・・」と話していたことがあったけど
自分だけが違うことを客観的に見ると
「あれ?こっちが変なの?」という結論にたどり着き
『自分のフツーは、他人の変』なのだと可笑しくなった。
あの人が言ってたなー
「自分の常識は、他人の非常識」って。
でも、類は友を呼ぶで
自分の周りには同じことを「フツー」に感じる人がいて
お互い笑えたらそれでいいんじゃないだろうかと思った。
笑える楽しい場所にいればいい。
わざわざ無理して居心地の悪いところにいる必要はない。
なんだかそう思うと
やっぱり人生は自分次第だなと思った。