私たちは答えを「知っている」
どうして人は、自分の答えを外に求めるのだろう。
自分の中にあるのに。
どうして人は、自分の答えを人に聞こうとするのだろう。
自分の中にすでにあるのに。
どうして人は、自分の答えに自信が持てないのでろう。
自分は知っているのに。
私たちは、全ての答えをすでに知っていて。
それを忘れているだけ。
生まれた時に全て知っていたけど、
生まれた時に全て忘れているだけ。
忘れたことを生きている間に思い出しているだけ。
新しく覚えることは何もなく、
成長しているのは体だけで、
記憶も知識も新しく感じるけど思い出しているだけ。
知ってい“た”ことを思い出しているだけ。
思い出すことに自信が持てないから、
自分の外にその確信を求めてしまうんだと思う。
知っていることは、全部正解なのに。
間違っていることは何もなく、
「間違ってると思うこと」も正解で。
「正しいと思うこと」も正解で。
自分で選んで、自分で行動して、自分で納得できることが
正解。
誰かにアドバイスがもらいたい時は、
ただの確認作業がしたいだけ。
承認されて「これでいいんだ」って安心したいだけ。
それも正解。
でも、その答えはすでに知ってる。
確信があるはず、それは「違う」のか「正しい」のか。
「違う」と思っていても、「違う」方を自分で選んだなら
それは正解。
「正しい」と思っていても、「違った」結果になっても
それも正解。
全てが「思い出すため」に必要な過程で、
自分で探りながら確信を感じながら進めるコトは
結果がどうであれ正解。
大丈夫。
大丈夫。
正解だよ。